遊牧写民

心に残った日常を一枚の写真に

ルーツを辿る旅 ~晩秋の信濃路 その4~

Hさんにお願いして、

駐車場に1時間ほど車を置かせてもらえることになった。

DAHONを車から降ろして、走り出す。

まずは、中学へ行ってみよう。

 


この階段を毎日通った。

転校する数日前、帰りにすす君がここで待っていて、

アニメのカードをくれたんだった。

自分が転校するのを知って、待っていてくれた。

転校してきて、一番初めに話しかけてくれたのもすす君だった・・・。

 

FUJI XF10

あっという間に中学に着いた。

こんなに近かった・・・?

 

あの照明の向こう側にバレーボールコートがあって、

毎日部活で汗を流した。

 

FUJI XF10

先輩達は優しくて、カッコ良くて、憧れの存在だった。

昨日まで小学生だった自分たちが

圧倒的に体力のある先輩達と一緒に練習すれば、

毎日ボロ雑巾のようになるのは当然だったけど(笑)

そんな人たちと一緒にする練習は、楽しくて仕方がなかった。

 

いつも、みんなでグランドを1周走って練習を終えるのだが、

ここを離れる最後の日、

「おまえが掛け声をかけろ」と顧問の先生に言われた。

いつもは3年生がする役割なのに。

 

粋な計らいに感動しながら、

先頭を走りながら掛け声を掛けた。

陽が傾いてきて、

秋の気配が感じられてきた一日の終わり。

忘れられない思い出の一つ。

 

 

FUJI XF10

小学校へ向かう。

坂道を下ったところに以前と同じように存在した。

自分が卒業する年?に木造校舎を取り壊し、

最後の1週間だったか、完成したばかりの校舎に入った記憶がある。

真っ白で、とても綺麗な壁が印象的だったが、

それまでの木造校舎が大好きだったので、

どこか素っ気ない感じがしたのも覚えている。

 

そんな真新しかったはずの校舎も

40年以上が経ち、当時と違ってくすんでいた。

自分と同じように歳を取ったということだ・・・。

 

校舎の西側へ回る。

この石碑?の前の交差点で信号待ちをしていると、

三重から観光で来たという年配の方に

「どちらから?」と声を掛けられた。

静岡から来て、43年ぶりの母校訪問です、と言うと、

「おお、それは感動だね。良い旅にしなさいな。」

と言われた。

ありがたい。

胸が温かくなった。

 

FUJI XF10

西側のアプローチも当時のまま。

門柱と石段も変わってなかった。

この右手に土俵があって、

ああ、相撲大会が行われたっけなあ!と思い出した。

中学校にもあったけど、

学校に土俵があるって、静岡ではあまり見かけない。

長野教育の特徴なのかな・・・。

 

長野教育と言えば・・・

県歌の『信濃の国』。

校歌以上に歌わされたので、

長野を離れて数十年経った今でも、口ずさめる。

小さい頃に刷り込まれたものは忘れない、という証明だなぁ(苦笑)。

 

 

木曽川沿いを走る。

木曽の街を象徴するのが、この崖家造り。

木曽福島=崖家造りの家々 というイメージがある。

当時も今も変わらない街並み。

 

コウハン橋まで来た。

「廣胖橋」って書くんだな。

 

あの時、ここで言えなかった事をつぶやいてみる。

返事があるはずもない・・・。

 

折り返して中心部へ向かった。

 

バスが止まっている右手の建物は

当時スポーツショップだったはず。

ここでグローブを買ってもらって、学校でよく野球をして遊んだ。

こんちゃん、つー君、たかみ、すす君、とし・・・

通りを走っていて、当時の仲間達の名前が思い出された。

みんな、元気なんだろうか・・・。

 

 

1時間ほど街中を走り、

御料館へ戻ってHさんに挨拶をし、木曽福島を後にした。

 

その後、伊那市へ行き、

小1まで住んでいたあたりを車で走ってみたが、

中心部に近いこともあってすっかり街の様子が変わっていた。

グーグルアースでこの辺だろう、ということは分かったが、

実際にはよく分からなかった。

 

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今回の旅のきっかけは、

御料館という存在をたまたま知ったからだが、

行ってみてとても感慨深い旅となった。

 

自分のルーツを辿る旅は、

否応なしに流れていく時間の残酷さも感じたし、

それでも変わらないものもある、ということも感じた。

確かに、そこに自分はいた。

それも強く感じた旅だった。

 

 

初日走行距離:351㎞ 平均燃費:17.9㎞/L

2日目走行距離:196㎞ 平均燃費:22.2㎞/L

合計:547㎞ 平均燃費:20.1㎞/L